皆さん、こんにちは☀️
ブッシュクラフトをして森に一泊した日の翌日、早朝から、亨進様とヨナ様と共に訓読会をしました。
その時に亨進様が語られたみ言です。
4回に分けてアップしていきます。

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 体が死に陥ってしまうという事はどういう事でしょうか?(肉体が死に陥るという意味ですか?) この方の名前は何ですか?(馬場です。) 馬場さんですね。皆さん、これは重要な内容です。馬場さんは善なる人ですか、悪なる人ですか?良い人ですか?悪い人ですか?(少し良い人です) 皆さんはどう思いますか?この人は良い人ですか?悪い人ですか?(良い人です。) 一般の人も同じ様に答えるでしょう。良い人だと。本当に良い人なのか、悪い人なのかテストする事ができます。もしくは少し良い人なのか、そうでないのかもテストする事ができます。
馬場さんは今まで嘘をついた事はありますか?少しの嘘でも嘘になります。(あります。) 何回ですか?自分の人生の中で何回嘘をつきましたか?(数え切れません。) 嘘をついた人を何と呼びますか?(嘘つきです。) では、馬場さんは嘘つきですね。今まで物を盗んだ事はありますか?小さい物、例えば鉛筆、紙、インターネットの音楽など。(あります。) 物を盗む人を何と呼びますか?(泥棒です。) そうなら、馬場さんは泥棒ですね。嘘つきであり、泥棒でもあります。また、女性を見たとき淫乱な感情を持ったり、性的な感情持った場合、その人は性的罪を犯す事になります。そういう感情を持った事はないですか?(あります。) 性的な罪を犯したという事ですね。また、神様を信じなかったり、憎んだりする事は、神様に対する神聖冒涜と言います。または神様の名を悪く言う人は、神様を冒涜する人になります。姦通者、殺人者、性的罪を犯した人、また嘘をつく人達は、天国には行けません。馬場さんは少し良い人だと言いましたが、それは一般の人達と比較した場合であって、神様の十戒と比較した場合は、嘘つきであり、泥棒であり、姦通者、神様を冒涜する人であり、罪深い人となります。皆さんも同じですか、違いますか?(同じです。) 一般の人は他の人と比較しますが、神様の十戒と比較しないのです。皆さんは錯覚しているのです。私たちが、マタイの福音書10章で、若者がイエス様のもとへ行き、「私は善なる先生だ。良い先生だ。」と言い、「天国にはどうやって行くのか。」と尋ねた時、イエス様は「神様以上に良い人はいません。」と答えました。私たちが考える善とは、人間の間での善であって、神様が定めた善ではありません。ですから、神様が十戒を下さった時、神様は人間に鏡を与えました。イスラエル民族の人々は自分達を善なる人だと思っていました。馬場さんも、自分は少し良い人だと思っていましたね。(はい。) そうでしょう。なぜでしょうか?人を殺した事がないですし、人の話をよく聞き、国の法を守っているからです。あるいは、人に対しても親切に接しているからです。しかし、神様の十戒の中の4つの項目だけを見ても、あなたはその4つの全ての条件、法を破りました。あなたが言っていた様に、数え切れないほど罪を犯しています。多くの罪を犯しました。もし、あなたがこの瞬間に死に、神様の所に行かなくてはいけなくなり、神様があなたを見た時、神様の十戒で判断した時、あなたは合格ですか、不合格ですか?(合格できないです。)そうですね、不合格ですね。不合格なら、天国に行きますか、地獄に行きますか?(地獄に行きます。)地獄は怖いところですね。神様の十戒で私たちを判断した時、私たちがどこに向かわないといけないのかを知る事ができます。私が地獄に行くのだとしても、地上世界では私が良い人だと思っていて、神様が許してくださると錯覚していました。しかし、考えてみてください、裁判官の前に行き、様々な罪を犯し、ビデオまで撮って記録が全て残っているとします。監獄に行くことになってしまいました。その時、裁判官に「私をお許しください」と言いますね。もしその裁判官が良い裁判官だとしたら、そのまま犯罪者を許すでしょうか?もしその犯罪者が人を殺してしまったらどうしますか。(善なる裁判官なら、法の下でその犯罪者を裁きます。) そうでしょう。神様は、私達が悔い改めるなら許す事ができますが、悔い改めなければ神様は法の下でその人を裁かなければなりません。そうですね。私達が神様の法の観点から自分自身を見つめた時、あるいは神様の観点から見た時、私達は皆失敗した者だという事が分かります。失敗したら、地獄に行きますか、天国に行きますか?(地獄です。) 私達の力では、神様の身前に行く事が出来ません。神様には罪がありますか?神様には悪がありますか?(ないです。) 人間に罪と悪があったら、神様のもとに行く事ができますか?(できません。) 善悪を分立した生き方をしなければなりません。神様と分離された場所を霊界では地獄と言います。つまり、監獄です。私達の能力では神様のもとに行くことはできません。馬場が言っていた様に、沢山の罪を犯してしまったからです。私達がその裁判官に犯してきた罪の代価、罰金を支払う事ができる人にならなければなりません。それが、キリストが行かなければならなかった蕩減路程です。キリストは神様の実体です。イエス様はユダヤの聖殿で、罪を犯した人たちと共に鞭で打たれていました。一般の人々が見た時、イエス様がされてきた行為は罪として認識されていました。しかし、神様の観点から見た時、イエス様の行為は罪ではなかったのです。イエス様は私達のために犠牲となり、十字架に架けられ、霊的な救いをされました。そのことを踏まえて、私達が裁判官のもとに行き、今まで嘘をついたり、ものを盗んだりして沢山の罪を犯しましたが、キリストを信じることで、キリストを身にまとうことができるのです。それはどういう意味かと言うと、神様は私たちが犯した罪を見るのではなくて、私たちが身にまとっているキリスト(信仰)を見るのです。キリストを神様の十戒で見た時、合格ですか、不合格ですか?神様は自分の独り子を見ていらっしゃるのです。この聖句はそういう意味です。
 ローマ書10章に「キリストが貴方の内におられるのなら、身体は罪によって死んでいても、霊は義によって命となっています。」とあります。聖霊が生命であるといいますね。私達が神様の十戒で自分自身を見た時、私達自身には義というものが全くありません。神様は、私達が身にまとっているキリストを見られるのです。私達は完成した人間ではないですが、キリストを身にまとうことで完成した人間になることが出来る。私達は弱々しいけれども、キリストを身にまとうことで強くなることができます。私達は罪がありますが、キリストを身にまとうことで罪を清算することができます。たとえ悪事をしたとしても、キリストを身にまとうことで、その悪事が許され、神様のもとに帰ることができます。私達が優れているのではなくて、神様の子女として一つになれるからです。分かりましたか?この聖句はこのような意味です。人間は自分に対して錯覚してしまうのです。


(つづく)
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Part2もすぐにアップします

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