サンクチュアリのことを知り歩み始めて、早9ヶ月が経ちました。
1月にサンクチュアリを知り、4月にアメリカで祝福を頂き、今は家庭を出発して信仰生活をしています。仕事をしながら聖日には教会に行き礼拝を受けるそういう日々です。
私は1800双家庭の二世です。自分の親は家庭連合ですがいい関係を保てていて、サンクチュアリ教会の皆様とも新しい出会いの連続で神様の導きに感謝をしています。反対の立場でありますが良好な関係を保ってくださる両親の愛に感謝し早くお父様の権威に戻ってきてほしいと願っています。

親元を離れて、自分の家庭を持ち信仰生活を始めてみると足りないことの連続でございます。神様と自分との関係が薄く、不信仰な生活を送れば良心の呵責に悩まされ自分のことを責めてたりも致します。教会のために私は何ができるのか?何をしなければいけないのか?神様はどうしてこのような環境に私を導かれたのか?何もわからず自分の無力さを感じ祈り、み言を訓読するしかなく神様にすがるようなことも致します。お恥ずかしい限りです。私が想像していた生活はこんなはずではありませんでした(笑)

両親の歩みをずっと見てきました。
私が小さい頃は聖日になれば敬礼式をして、敬礼式が終わると父親のありがたーいお話を聞いていた記憶があります。内容は覚えていません(笑)
誕生日になると私たち兄弟のために敬礼式をしてくださり、両親が頭の上に手を置きながら祈祷してくださったことをよく覚えています。言葉にしたことはありませんが、私はその祈祷をしてもらうのが本当に心地よく、好きだったことを覚えています。祈祷が終わると両腕を両親が持って、ブランコのように振り回す?のが恒例行事でした。その後イオン(当時はジャスコ)で買ってきたスポンジに生クリームやフルーツでデコレーションしたケーキを皆で食べます。
私と私の兄は誕生日が二日しか違わないので、二日後に同じことをもう一度やります。兄の誕生日のために朝5時に起こされるのは気分が悪かったです。でもケーキが食べれるので幸せな気分だったかと思います。ケーキをどうやって少ない予算で綺麗にデコレーションするかを兄弟で競い合ってたかと思います。
父親は物静かな方で家では竹刀を振りながら筋トレをしたり、聖書を読みながら何か考え事をしたりしてました。私たち兄弟に悪影響だからと家のテレビを壊してしまったり、ゲームを隠されたり激しい面もありました。凄いですよ!テレビをコンクリートブロックで叩いてテレビを破壊してしまうんです(笑)環故郷のために東京から新潟に引っ越してきましたが、整体で自営業を始められ、何も基盤がない所から我が家の経済をずっと稼ぎ続けて下さいました。
母親はよく教会のために尽力される方で神の日や子女の日、万物の日みたいな祭日になれば教会で沢山料理を作っていました。聖歌隊で歌を歌い、パネル展があればゲストをもてなし、物販もやって、献金も沢山しました(笑)お父様の号令があれば子供置いて世界へ飛んでいきます。母親はいませんでしたが、教会の方が面倒見てくださり寂しい思いはあまりしませんでした。寂しがる弟たちをなだめるのに苦労しましたが(笑)逆に海外に行く教区長の家族を我が家で預かったりして、兄弟以外の兄弟姉妹も沢山いました。
思い返してみれば、愛の溢れる素晴らしい家庭であったとそう思います。

ですが、私たち兄弟が大きくなってからは敬礼式もしなくなり誕生日の敬礼式もしなくなりました。(注:私たち兄弟が拒否していたからというのが原因です。両親のせいではありません。)20歳を過ぎると色々変わります。家庭での会話も少なくなっていき、よく両親に対して不平不満を言っていました。この家庭は愛がない!信仰の本質は献金じゃない!何で両親は祝福家庭なのに何で愛し合っていないんだ!沢山不平を言いました。言ったというより態度で表していたというの本当でしょうか?

話を元に戻します。だから自分が家庭を持ったら夫婦同士が愛し合って、毎朝神様に敬拝を捧げて訓読会をする、そんな家庭にするんだと考えていました。ですが家庭を持ってみれば最初に書いた通りでございます。何の信念もなく、神様と自分の関係もわからず悶々とする毎日です。アボジ、、、アボジ、、、と私と神様の関係を探し求めます。

そうやって悩みながら本当に一世の皆様の歩みは凄かったのだと感じております。メシアに出会い、その関係性をずっと持ち続けながら沢山の困難を超えてこられた一世の皆様の歩みを尊敬し感謝する次第でございます。不平不満を沢山言ってきて申し訳ありませんでした。沢山愛して頂いてました。
今度は自分たちの番です。沢山悩みながら、悔い改めながら、神様のように真の愛で愛せる人間になるために戦ってまいります。

神様、私も神様のように愛せる人になりたいと願います。ともにあってくださる神様、あなたなくしてこの道をいくことは出来ません。思い返せばあなたと共にある時が全て幸せな時でございます。あなたから離れる時が不幸なります。どうぞこの傲慢な心を謙虚にしてください。
 
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