Sさんから投稿をいただきました。


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「命を頂くということ」


昨年10月、ペンシルベニアを訪れた折、ブルーストーンファームで牧場体験があり、青年達に混じって私も参加しました。鶏を絞める作業です。私の子供の頃は家で鶏を放し飼いにしていて、時々母親が絞めて料理してしたのを覚えていますが、自分でやったことはありません。この体験でも参加はしたものの、やらずに済ませるかと思っていましたが、茶色の鶏の数が参加人数(30名ぐらい)以上にいて、見学だけしている訳にはいかなくなり、私も思い切って挑戦してみることにしました。逆さにつるして頸動脈を切り、血を出して命を終わらせます。私にとってひとつのハードルを越える、緊張する作業でした。その後、熱湯につけた後、羽を全部むしり取り、内蔵を除いて肉の塊の形にして終わりです。たまたま、文書の整理をしていたら、命を頂くということについて、昔書いたものが出てきました。青年達もペンシルベニアで鶏のほか、鹿とか豚とかの解体作業をしたというので、これを投稿します。


 弱肉強食


心ある人々を悩ませてきた問題に「弱肉強食」がある。自然界はみごとな調和と均衡が保たれているが、それは情け容赦のない弱肉強食の秩序によって実現されている。小は微生物から、大は鯨に至るまで、食うか食われるかの生存競争からのがれることはできない。そして、たとえば私達もテレビで見たりする、アフリカのガゼルやヌーがライオンに生きながら食われる無慈悲、過酷な場面は、神様が愛であるという理解とどのように折り合いを付けるべきなのか、悩むのである。


しかし、その問題もお父様によって解決された。牛はワニに食われながらも幸福だというのである。自然界の弱肉強食の解釈に苦しんできたのは、誰もこのような見方ができなかったからである。小なるものは大なるもののために存在する。つまり、小なるものはより大なる愛を実現するために、大なるものに食われる、それが幸福であるというのである。


「以前、ナイル川のワニを見たのですが、大きな雌牛を一度にのみ込んでしまいました。それを見ながら私は『ああ、あれほど大きなものが一度にのみ込まれてしまうのか。牛は気分が悪かったとしても、幸福だろう』と考えました。(笑)そのようなことを少し考えてみなさい。死ぬことは死ぬのですが、病死するよりも、そのように死ぬほうが」(「純血血統と生殖器」祝福家庭21P.1516


植物を草食獣が食い、その草食獣を肉食獣が食う。あるいはプランクトンを小魚が食い、その小魚を大きい魚が食う。そして、そのような食物連鎖のピラミッドの頂上に人間が君臨している。地球上最大の生き物、鯨も人間(特に日本人)のごちそうになる。


また、人間がピラミッドの頂上にいるからといって、人間にとっての食材はピラミッドの上層部のものばかりとは限らない。かなり底辺にある、オキアミやちりめんじゃこも大好物である。中華料理には蚊の目玉料理があるそうだ。蚊がコウモリに食べられても目玉だけは消化されずに残り、コウモリの糞を集めて洗い出して目玉を集めるらしい。人間は、自然界の考えられるあらゆるものを食材として捕獲し、食うのである。


すなわち、自然界の生きとし生けるものがその命を捧げて、より大いなる愛を実現しようとするその最終的主体こそ、人間である。ワニに食われた牛も、そのワニが更に人間に食われるなら、もっと嬉しいことになる。


 人への昇華


私は一週間断食の時、水の透明な美しさに惹きつけられ、風呂桶いっぱいに張られた水が神秘的にすら見えた。普段気にもとめない水だが、もしその絶対量が少なかったなら、宝石以上にどれほど人々を魅了することだろうか。固体にも液体にも気体にもなる、美しくも神秘なる鉱物、H2O


一般に物質は、液体のままよりも固体になった状態の方が密度が大きい、つまり重くなるが、水だけは液体状態の摂氏約四度で密度が最大になるという不思議な物質である。温度が四度より下がると密度は小さく、つまり軽くなり、氷は水に浮くようになる。それゆえ深海がどんなに暗く冷たい世界であっても、そこには氷が存在しない。


ある科学者はこのことに神様を感じるという。なぜなら、水がほかの物質と同じように個体での密度がより大きいならば氷は水に沈むようになり、北極と南極は海底のぶ厚い氷でつながって、海は表層だけが解けた状態に過ぎなくなる。そうなると地球は、ひどく凍てついた星になっていたであろうという。


ところで、目の前にあるコップに水を注いでそれを手に取り、しばらく眺めてみることにしよう。そして言う、「お前は水だ」

次にその水を、一気に飲み干す。水はのどから食道を伝って、胃袋に収まる。そして言う、「お前は私だ」


目の前にあった水は、飲んだ瞬間から私そのものとなる。しばらくは胃袋に滞留するかもしれないが、それでもその水はもはや「私」と区別することはできない。

このように、物質は人間の体内に入ることにより、その瞬間から人間となる。だから、あらゆる万物には人間になる道が開かれているといえるだろう。万物は食物という形で人間に摂取され、吸収され、そして人間になる。


このような、人間にとって食物となるべき万物が、鉱物、植物、動物と階層をなし、弱肉強食の生存競争を繰り広げている。この生存競争を勝ち抜いてたどり着く人間の口こそ、万物にとり、あこがれの神の子、人間への登竜門となる。


漁師が網で魚を穫り、水揚げする光景を見ることがあるが、網の中で跳ねる魚はどれも活きがよくて、つぶぞろいである。その中に虚弱体質の魚を見いだすことはできない。それは過酷な水中での生存競争を幾重にも勝ち抜き、生き残ったものだけの群だからである。


自然界の掟によって厳選され、生命力と運気に満ちたものだけが、人間の食卓に登ることを許される。だから弱肉強食とは、尊い人間の体を構成するにふさわしい万物を選りすぐり、精製するためのシステムと見ることもできる。そのシステムが過酷であればあるほど、精製の度合いは高くなる。


 牛肉の味


アメリカ産の牛肉は堅いけれど、噛みごたえがあってそれなりにうまい。家内が長期不在時には、私が食事を作って子供に食べさせたが、スーパーで買い物をする時、この安いブロック肉を見つけて買ってきた。堅いのでそれだけ長く口の中に止まり、かえって味わい深く、肉を食っているという実感がある。ある日私は、自分で料理したこの牛肉を時間をかけて噛みながら、アメリカで見た牧場の風景を思い出していた。


私はアメリカ中西部の田舎町に数年住んだことがある。車を走らせれば10分ぐらいで町並みは尽き、後は延々と広がる荒無地である。そして時折、そのような平原に放し飼いにされた牛を見ることがあった。


ある時は数十頭の牛が頭を中にしてきれいな円を描いていたことがある。何をしているのだろうと不思議であったが、寒い日だったのでそのようにして風を避けていたのかもしれない。人影はなく、誰かがそのように集合させたとも考えられず、牛達が自主的に集まっているようだった。整然と尻を外側に向けて、大きな同じ体格の牛により作られた円陣の幾何学的な美しさは、牛に前後左右の空間認識の高度な知性があることを示していた。


また、隣町との中間に牛の屠殺場があり、その施設は道路から遠望することができたが、行き来するたびに、糞尿の臭いがしてきた。広い囲いの中には、いつ見ても夥しい数の黒い牛が集められ、その牛達はじっと動かずに自分の順番を待っているのである。


私は牛肉の筋肉の繊維を奥歯で丁寧にほぐしてはすりつぶし、その味わいと感触を楽しんでいるうちに、それらのアメリカの風景を思い出しながら、いつの間にかその肉の経歴、すなわち肉が肉になる前の、生きていた頃の牛の一生を想像していた。


広々とした荒無地のようにも見える草原。子牛の頃からなんの屈託もなく、その広い草原でゆったりと成長したのだろう。草を食べ飽きれば、仲間と遊び、また亀や蛇を見つけてはこれと戯れる。成長すれば自分も子を産み、やがてその牧場を去る時がくる。


私は狭い台所の椅子に座ってそのようなことを想像しながら、ものを食うということは、味覚を味わうとか、栄養を摂取するとかの外的のみのことではなく、もっと内的な、その食物の生涯の体験を我がものにする行為でもあるのではないかと考えた。牛の肉を食うということは、筋肉や脂肪に残っている牛の記憶たどりながら、その生涯を心でも味わい、追体験することなのではなかろうか。


米を食えば、その米が実るまで稲が田んぼで育ちながら雨を受け、太陽の光を浴び、根っこをドジョウにつつかれたりしたその思い出を、柿を食えば、その柿の実が高い梢にぶら下がって、風に吹かれながら見た光景を、カサゴを食えば、そのカサゴが岩礁を巡りながら楽しんだ海底の生活を、それらを自分の体験であるかのように味わい、自分のものにすることが本来の食事ではないのか。人間はきっと森羅万象、個々の体験の集約者でもあるのだろう。


 ヤギの味


先日、娘(中2)の学校の授業参観に出たところ、道徳の時間に沖縄の高校生、金城幸(きんじょうみゆき)さんが書いた「忘れられないご馳走」という文章を教材にしていた。先生はこれを4つに分けて印刷したプリントを順番に配って読み、その都度、生徒に話の展開や結末を予想させ、感想を聞きながら授業を進めていた。以下その全文である。


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畑の後で知り合いの家に飲みに行った親父が、とんでもないものを連れて帰ってきた。白い子ヤギである。安くゆずると言われたので、もらってきたのだという。

「何言ってんの、うちにこんなの持ってきてどうするのよ」

驚いて思わず大声を出してしまった。


台所から出てきた母は、私の肩ごしに子ヤギを見て、嬉しそうな顔で言った。

「あい、上等なヤギだね。これだったら来る正月にはつぶせるさあ」

「た、食べるの?」

私がどもると、親父は大声でからからと笑った。

「まーさんどー(うまいぞ)。だあ、これの世話は、幸がやりなさいね」

首にひもをかけられたヤギが、青い目でじっとこちらを見ている。その目をみながら、私はぺたんと座り込んでしまった


私の家は農家だ。主に菊と野菜を作っている。今、ちょうど、出荷の時期で忙しいらしいが、それは私の知ったことではない。高校生は、遊びと勉強で手一杯なのだ。しかし、それまで家業に無関心だった私が、ヤギの世話を押しつけられるままに始めてしまった。別に、朝から晩まで働きづめの親の姿に、良心が痛んだからではない。とにかく可愛くて可愛くてしょうがないのだ。この子ヤギ白い毛と青い目のジョセフィーヌが。


ジョセフィーヌの世話は、早朝と夕方にする。朝は5時に起きて彼女のいる小屋を掃除し、乾し草(ほしくさ)を敷き、水と買ってきた飼料をやる。ヤギなど見たこともないので、世話の仕方など全くわからなかったのだが、母もヤギは料理の仕方しか知らず、父の指導もきわめてあっさりしたものだった。


「えさは?」「草と水」

「どうやって飼えばいいの?」「雨に濡らしたらだめだ」


この程度の知識で、それでもちゃんと育っているのだから、生き物というのは不思議なものである。聞いた話では、ヤギの世話は、他の家畜よりも難しいらしいから、ジョセフィーヌが特別に丈夫ということかもしれない。


夕方、えさと水をかえていると、母が様子を見にやってくる。

「だあ、ヤギは元気ねえ? えーヒージャグワー(ヤギ)、もっと食べて太りなさいよ」

「ジョセフィーヌって呼んでよ」

「なんね、その変な名前は。ヤギはヤギさあ」

悠然と台所にひっこむ。嫌な母である。


休みの日は、青い草を食べさせるため、ジョセフィーヌを外に連れ出す。遊ばせている畑が多くて、柔らかい草には困らない。春も、夏も、秋も、冬も、草は絶えない。思えば沖縄はいいところだ。夏は腰までくる草の中で、ジョセフィーヌと遊んだ。走ると細い足でどこまでもついてくる。ピンクの長い耳が、ぱたぱたと草いきれをはらった。9月も10月も11月も、のどかに過ぎていく。


いつしか私は、このヤギが食べるために飼われていることを忘れてしまった。両親の言ったことも、たちの悪い冗談と片付けていた。しかし、私の考えは甘すぎた。年の暮れも迫った12月の29日、私が熟睡している夜中に、ヤギはあっさりと殺されてしまったのだ。


朝起きてそのことを知った私がどんな行動をとったかは、覚えていない。だが、それから2日間、私は部屋にこもって、何も食べなかった。階下の客の声に顔をしかめながら、時折思い出したように泣いた。父も母も、謝りには来なかった。


大晦日になって、遊びに来た叔父が話を聞いて2階に上がってきた。

「済んだことで意地を張るな。体こわしたら大変だろう。皆、心配しているぞ」

私もいいかげん、疲れていたのだろう。渡されたヤギ汁を、勧められるままに一口飲んで、また泣いた。おいしかったのだ。


叔父が、涙と鼻水を流しながら汁を飲む私を見て、「お前、今まで何も考えないで生き物食べてたのか?」と言った。

「だって、ずっと売っているのを食べていたのに。ジョセフィーヌは、自分で飼っているヤギだったのに」

「食べるっていうのは、結局こういこうことよ」


私の感情は納得しなかったが、ずっと養豚をしてきた叔父の言葉には、妙に説得力があった。私はヤギ汁を全部平らげた。


それ以来、私の中にはずっと、食べられたヤギが住みついている。正直言って、生き物を食べるとはどんな事なのか、まだ自分の答えは見つからない。しかし、私は今まで食べた生き物の命で生きている。その実感は、大晦日のヤギ汁の味と同じくらい確かに、私を満ち足りた気分にするのだ。

(「文藝春秋」19964月号・第5回文の甲子園最優秀作品)

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