日本サンクチュアリ協会青年部ログ

サンクチュアリ青年部は亨進様から頂いたみ言をもとに、 聖書勉強、み言勉強、バンド活動、農業活動、ブッシュクラフト、セミナー等 様々な活動をしていきます。このブログは複数人で投稿しています。

2016年10月


数年前、まだ私が中高生だった頃、私は毎週韓国の天福宮で行われた亨進様の礼拝に参加し、亨進様のすぐそばでみことばを聞いていました。私にとってそれまでの真の御家庭とは、あまりに遠く手の届かない存在でした。お父様の愛に直接触れて従ってきた一世の方々とは違い、歳も離れた若い二世や三世たちならば誰しもが感じたことだと思います。なので、すぐ近くで亨進様のみことばを聞けることに大きな恵みを感じましたし、同時に自分にそんな資格があるのかと緊張もしました。
その頃の亨進様は、いつも笑顔を絶やさない方で、決して怒ったり声を荒げたりしない方でした。説教を語られる前にいつも必ず短いジョークを一つ語られ、会場の一人一人に気を配られながら、まだあまり慣れておられないであろう韓国語で一生懸命みことばを語ってくださいました。まるで全てを温かく包み込む太陽のような方だと感じました。お父様をよく知らない我々にとって、これが真の御家庭なのかとつくづく思ったものです。そんな恵み多き状況が数年間続き、次第に私は亨進様をお慕いするようになり、同時にロールモデルともなりました。常にヨナニムのことを愛され、手を握ることに至るまでどうすれば愛せるのか研究したんだと語られる亨進様を見ながら、自分もいつしかこんな家庭を築きたいと思いました。その影響で、現在既に祝福を受けた私は、手を握る方法をはじめ、愛について研究をしています。

それから数年が経ち、私はサンクチュアリ教会に入り、お父様の元へと戻りました。自分の信仰は自分で決めると決心し、「沈黙を破って」をはじめとする当時あった全ての亨進様のみことばを、YouTubeなどに載っていた映像を通して聞きましたが、その内容が何の抵抗もなく心に入ってきたのは、数年間亨進様の愛に触れ続けたからだと思います。
それからまたしばらくして、今回のセミナーで通訳兼スタッフを任されることになり、もう一度亨進様とお会いできる機会が与えられました。そこで私がお会いしたのは、以前と同じように全てを包み込むような温かさを持ちながらも、以前とは全く別人のように変わられた亨進様でした。その変化が顕著にあわられるのは、亨進様が韓国語でみことばを語られるときです。私はお父様のことをはなしで聞いたり、映像で見たりするくらいでしか知りませんが、そんな私でもはっきりと、この方はお父様だと感じました。私は何度か亨進様の通訳も担当させていただきましたが、そのみことばの内容は、以前のような皆の心を和ませるようなものとは異なり、悪霊がいれば吹き飛ばしてしまいそうな激しさと迫力を帯び、その表情は時に険しく、視線はまるで心を全て見透かすような威圧感がありました。そして時には、通訳する人が苦笑しながら訳すのをためらうような表現もされました。亨進様が韓国語でみことばを語られるときは、中にお父様が共におられるのではないかと感じます。

ところで、私がスタッフとして今回のセミナーで経験した内容も少しお伝えしようと思います。一つは中高生のメンバーを見ながら感じたこと、そしてもう一つは、より間近に亨進様とお会いしながら私個人が学んだことです。

この修練会は本当にうまくいくのだろうか?それが成田空港で中高生の参加メンバーと出会った時に最初に感じたことでした。私が中学生だった時に自分の班長だった兄のことをまだよく覚えています。血の繋がった兄弟でもないのに、まるで本当の弟のように愛し接してくれた兄でした。その兄のおかげでセミナーを楽しめたし、多くを学べたと今でも思います。班長の重要性を知りながらも経験は全くない私が、今回その立場に立つことになり不安を感じました。さらに、ほとんどが親に半ば強制的に参加させられた、暗く覇気のない彼らの姿が私の不安を掻き立てました。世界中が不安定なこの時期に、この修練会で何かを見出して欲しいと祈るように送り出したであろう彼らのご父兄の方々の期待に応えられるのか、正直自信がありませんでした。そんな不安の中で修練会は始まりました。しかし、やはり彼らは祝福された2世、3世達なんだなと感じざるを得ませんでした。最初はあまり積極的ではありませんでしたが、ほんの数日間で打ち解け合い、帰る頃にはまるで今までずっと一緒に過ごしていたかのような関係を築いていましたし、いきいきとしていました。彼らの中には今まで一度たりともみことばに触れず、お父様さえよく知らない子もいましたが、亨進様と共に過ごす時間ではみことばにしっかり相対し、自ら積極的に質問したり、また亨進様からの質問に答えたりしていました。私の目からも、この修練会を通して成長した彼らの姿をはっきりと確認することができました。これからの時代を担う、立派なリーダー達に成長してほしいと感じます。

今回の中高生の修練会を通して2日もの間、私達は亨進様から愛をいただきました。
私は中学高校の時期を7年間韓国で過ごし、現在はアメリカの大学に通っているために通訳としての仕事を任されましたが、実際に通訳をしたことはありませんでした。しかしこれは、想像をはるかに超えるほど自分の神経を削る大変な仕事でした。一言一句漏らさずに理解しそれを正確に日本語で訳す、しかもそれが王様のみことばであるなら尚更必死でくらいつかなければなりません。そのような状況が数日間続き、修練会が終わる二日前にとうとう体が壊れてしまいました。胃と腸が完璧に機能停止し、嘔吐と下痢にしばらく悩まされました。亨進様と共に過ごせる1日目、ヨナニムの講話や亨進様から柔術を学んだ日の夜中にそのような状態に陥り、2日目のスケジュールへの参加は絶望的でした。しかし、せっかくの恵み多き時間ですし、私は大学の都合上青年部のセミナーに参加することが出来なかったため、通訳としての立場からは外れながらも、参加者としてなんとかその日の夕方まで、亨進様と共にさせていただきました。
その日は主に散策と滝での洗礼、そして射撃体験と銃工場の見学、さらに柔術の訓練をさせていただき、私は銃工場の見学まで参加し、その後はキャンプ場で休ませていただきました。滝で亨進様から洗礼を受けられるように水着を着用して行きはしましたが、散策の途中でも嘔吐するほど体は弱っていたので、皆が列を作って順番を待っている時も、私は並ばずに皆の様子を眺めていました。そして、自分からは参加しないけれども、もし王様が直接私をお呼びになったら、その時は覚悟して洗礼を受けようと決めました。そんな私の心をまるで見透かすかのように、全ての参加者の洗礼が終わった後、亨進様は私を見てお前は来ないのかと話しかけてくださいました。ヨナニムと江利川会長がこの人は体調が優れないからと亨進様に説明してくださる中、私は湖に入りました。洗礼を受ける直前、亨進様が語られる「この体は死に…」というみことばがやけにリアルに感じられ、ここで一度死のうと覚悟しました。洗礼の後、肉体的にも復活するなんてことはありませんでしたが、霊人体が洗われたような清々しい気持ちになりました。
最終日の早朝、亨進様とヨナニムがわざわざ我々のキャンプ場まで訪ねて来られ、最後に少しみことばを語ってくださいました。その場でも通訳ではなく参加者として参加しましたが、亨進様が私に向かってお前が通訳しなさいと言われたのをきっかけに、最後も亨進様の通訳をさせていただきました。それがとても恵みに感じられましたし、数百人に及ぶ祝福参加者やセミナー参加者がいる中で、私のことを覚えていてくださっていたことがとても光栄でした。
このセミナーを通して、中高生のメンバーよりもスタッフとして参加した私の方がむしろ多くを学べたと感じることができましたし、自分の仕える王様をより近く、そしてよりはっきりと確認することができるひとときとなりました。

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日本時間本日(10/30)夜23時から、先祖解怨・祝福式が行われています。 
生中継はこちらからご覧頂けます。
 


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「二世の苦しみと葛藤」
「一世の人達の素晴らしさ」

私は一世の人達のことを本当に尊敬します。

私たち二世は産まれた時から神様のことを知っています。その愛を感じる土台があります。

自分達で見つけに行かずとも、両親のおかげで神様を小さい時から知ることができます。

一体どうやって神様を掴んだのか。
それは僕たちにはわからない世界です。
この世で普通に生きている中で神様を掴んで、色んな反対を押し切ってでもアボジに慕って歩んできたことに心から尊敬の意を持ちます。

本当にすごい!
自分が同じ状態で、その神様を知らない状態からここまでの決意ができたのかな?って考えることがありますが、おそらく無理だと思います。

今神様を感じて歩んでいることは一世の人達が神様を掴んでアボジを慕い歩んできてくれたからなんです。本当に感謝です。

もっと一世の人達の証しを聞きたい!
そう思います。そしてそれを自分の歩み、伝道に活かしたい。それは自分が経験したことのない世界ですから。

一世の方々の歩みを本当に尊敬します。

そして私たち二世の歩み。

それは簡単な歩みではないんです。
たとえ産まれた時から神様を知る機会があったとしてもです。

この世の中で普通に、
学校に通い、友達と遊び、進学し、就職をする。

原理を学びながらこの世の中で生活し葛藤しながら成長していきます。

本当に難しいんです。
なぜ周りと自分は違うのか。
なぜ自由にしてはいけないのか。

そんな葛藤を常にしながら大人になっていきます。

これはお父さんお母さんの耳が痛いことかもしれないけど、お父さんお母さんには二世の気持ちは絶対にわかりません。これを経験したことないんですから。わからないんです。

でも教育しなくちゃいけない。
子供達に神様のもとで幸せになってほしいから。
原理に沿った歩みをさせないとそれが堕落だと知っているから。だから嫌われてでもなお、私達子供のために伝えてくれてたんです。

でもどう育てていいのかの葛藤ばかり。

そして成長し祝福の時期がくる。

それが親の心情だと思うんです。

子供達はその価値がわからないから。

僕もそうです。

自分はただ神様とアボジとオモニが大好きで証しを立てるために歩んできました。

でも祝福の価値まではなかなか理解できていなかった。ただアボジに結婚相手を決めてもらう。それくらいでした小さい頃は。

でも高校を卒業して原理を勉強できる環境があったからこそ、本当に理解できて喜びを持って祝福を受けて家庭出発することができましたが、二世の子達が本当に神様とアボジの価値を求めて歩んで行くということは簡単ではありません。

今の教会の二世が祝福を受けるのは1割もいないと聞いた時に本当に衝撃でした。

これが現実なのかと本当にショックだったことを覚えています。

これから教育する立場に僕たちはなっていきます。

自分は両親のおかげで神様とアボジとオモニを大好きでここまでこれました。

常に2人の背景にアボジとオモニがいたからです。

心情が繋がることがこんなにも強いんだなと大人になるにつれて感じることが多くなりました。そして小さい頃に神様の心情を掴むことが、両親から愛を貰うことが、何よりも大事なんだなとすごく感じています。

だから自分は二世の子達に本当に神様を感じてほしいと、愛を感じてほしいと心から思うのです。

中和文化祭や色んな行事に参加して、みんなの兄としてその辛さを知ってるものとして共に歩んであげたかったんです。

そうする中で本当に純粋な可愛い弟妹たちに出会うことができました。自分が学ばされることが多かったですが、兄弟姉妹の繋がりっていいなって思いをもってほしかったし、その環境を良くしてあげるのは兄姉の責任ですから。

弟妹たちの幸せを何よりも願ってるものです。

相談できる人がいないことは本当に辛い。
特に二世は繊細だし、中々相談なんてできない。

何とか力になってあげたかったです。
悩んでる子達がたくさんいますから。

みんな苦悩を通って大人になっていきますから。
だからそれを本当に解決してあげれるように上の立場の人達が守ってあげなければいけないんです。

何よりも親の存在で子供はほとんど決まります。

だからこそ一世の人達がもっと二世に歩み寄らなければいけないとも思います。

一世の人達にも二世の証しをたくさん聞いてほしいです。どうやって育ってきたのか。それが子育てのヒントになりますから。

そして一世の人達の証しを二世がもっと聞かなければいけない。神様を掴んだ世界をもっと尊敬の意を持って知っていかなければいけない。

一世だから、
二世なんだから、

そんな言葉が大嫌いです。

だってお互いに歩みが違うんですから。

歩み寄らないと!もっともっと!

「お互いが尊敬し尊重し合い伝統を作っていく」

これができれば二世の祝福が1割だなんていう悲劇がおこらないと信じています。

本当に今二世の教育を見直さないといけない!
なぜ本来幸せなことに対して反発するのか。
それをわかってあげないと二世は苦しんで壊れてしまいます。指導する側の都合ではいけないんです。二世にはその子達の苦しみがある。

心情も知識も理解できていないのに祝福を受けろというほうが無理です。

なぜそうしなければいけないのかをしっかりと心で感じられないと。頭で理解できないと納得できないんです。

どうかその苦しみに寄り添える指導者が増えることを願います。そしてその人達に尊敬の思いを持って二世が歩むことができるならば、必ず大きな愛の場ができるはずです!

子供の幸せを第一に願うお父さんお母さんの心情が伝わらないのが本当に辛いんです!!

絶対に変えないと。
本然的な授受作用をして愛が回るように。
そこに組織的な背景はいりません。絶対に。
親子の心情を家庭で深めていく。
兄弟姉妹の心情を家庭で深めていく。
そしてその手助けをするのが教会です。
教会の組織的な都合で伝えては絶対にダメです。
教会はその中で様々な心情圏を感じて成長するための場ですから。大人の都合は関係ありません。

主体は神様です。

本然の授受作用ができるように一人一人が神様との関係性を見つめ直さないといけない。そう感じます。

今の現状に満足してるならいいかもしれません。
親と子の思いが食い違うこの現状を。
祝福を受ける二世が1割というこの現状を。

私達がその実体の姿で子供達の希望になれるように努力しないといけない。自分達夫婦もいつも弟妹たちを思いながら歩んでいきたいと思います。

二世達には自分と神様との関係を本当に掴んでほしい。

ただ親の言う通りにではなくて、
親に反発するのではなくて、

まずは神様との関係を掴んでほしい!
それがどれだけの幸せか…本当に実感してほしい。

組織や上の意見に惑わされないで神様を求めて原理を感じて学んで、自分を持って歩んでほしいです!

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サンクチュアリのことを知り歩み始めて、早9ヶ月が経ちました。
1月にサンクチュアリを知り、4月にアメリカで祝福を頂き、今は家庭を出発して信仰生活をしています。仕事をしながら聖日には教会に行き礼拝を受けるそういう日々です。
私は1800双家庭の二世です。自分の親は家庭連合ですがいい関係を保てていて、サンクチュアリ教会の皆様とも新しい出会いの連続で神様の導きに感謝をしています。反対の立場でありますが良好な関係を保ってくださる両親の愛に感謝し早くお父様の権威に戻ってきてほしいと願っています。

親元を離れて、自分の家庭を持ち信仰生活を始めてみると足りないことの連続でございます。神様と自分との関係が薄く、不信仰な生活を送れば良心の呵責に悩まされ自分のことを責めてたりも致します。教会のために私は何ができるのか?何をしなければいけないのか?神様はどうしてこのような環境に私を導かれたのか?何もわからず自分の無力さを感じ祈り、み言を訓読するしかなく神様にすがるようなことも致します。お恥ずかしい限りです。私が想像していた生活はこんなはずではありませんでした(笑)

両親の歩みをずっと見てきました。
私が小さい頃は聖日になれば敬礼式をして、敬礼式が終わると父親のありがたーいお話を聞いていた記憶があります。内容は覚えていません(笑)
誕生日になると私たち兄弟のために敬礼式をしてくださり、両親が頭の上に手を置きながら祈祷してくださったことをよく覚えています。言葉にしたことはありませんが、私はその祈祷をしてもらうのが本当に心地よく、好きだったことを覚えています。祈祷が終わると両腕を両親が持って、ブランコのように振り回す?のが恒例行事でした。その後イオン(当時はジャスコ)で買ってきたスポンジに生クリームやフルーツでデコレーションしたケーキを皆で食べます。
私と私の兄は誕生日が二日しか違わないので、二日後に同じことをもう一度やります。兄の誕生日のために朝5時に起こされるのは気分が悪かったです。でもケーキが食べれるので幸せな気分だったかと思います。ケーキをどうやって少ない予算で綺麗にデコレーションするかを兄弟で競い合ってたかと思います。
父親は物静かな方で家では竹刀を振りながら筋トレをしたり、聖書を読みながら何か考え事をしたりしてました。私たち兄弟に悪影響だからと家のテレビを壊してしまったり、ゲームを隠されたり激しい面もありました。凄いですよ!テレビをコンクリートブロックで叩いてテレビを破壊してしまうんです(笑)環故郷のために東京から新潟に引っ越してきましたが、整体で自営業を始められ、何も基盤がない所から我が家の経済をずっと稼ぎ続けて下さいました。
母親はよく教会のために尽力される方で神の日や子女の日、万物の日みたいな祭日になれば教会で沢山料理を作っていました。聖歌隊で歌を歌い、パネル展があればゲストをもてなし、物販もやって、献金も沢山しました(笑)お父様の号令があれば子供置いて世界へ飛んでいきます。母親はいませんでしたが、教会の方が面倒見てくださり寂しい思いはあまりしませんでした。寂しがる弟たちをなだめるのに苦労しましたが(笑)逆に海外に行く教区長の家族を我が家で預かったりして、兄弟以外の兄弟姉妹も沢山いました。
思い返してみれば、愛の溢れる素晴らしい家庭であったとそう思います。

ですが、私たち兄弟が大きくなってからは敬礼式もしなくなり誕生日の敬礼式もしなくなりました。(注:私たち兄弟が拒否していたからというのが原因です。両親のせいではありません。)20歳を過ぎると色々変わります。家庭での会話も少なくなっていき、よく両親に対して不平不満を言っていました。この家庭は愛がない!信仰の本質は献金じゃない!何で両親は祝福家庭なのに何で愛し合っていないんだ!沢山不平を言いました。言ったというより態度で表していたというの本当でしょうか?

話を元に戻します。だから自分が家庭を持ったら夫婦同士が愛し合って、毎朝神様に敬拝を捧げて訓読会をする、そんな家庭にするんだと考えていました。ですが家庭を持ってみれば最初に書いた通りでございます。何の信念もなく、神様と自分の関係もわからず悶々とする毎日です。アボジ、、、アボジ、、、と私と神様の関係を探し求めます。

そうやって悩みながら本当に一世の皆様の歩みは凄かったのだと感じております。メシアに出会い、その関係性をずっと持ち続けながら沢山の困難を超えてこられた一世の皆様の歩みを尊敬し感謝する次第でございます。不平不満を沢山言ってきて申し訳ありませんでした。沢山愛して頂いてました。
今度は自分たちの番です。沢山悩みながら、悔い改めながら、神様のように真の愛で愛せる人間になるために戦ってまいります。

神様、私も神様のように愛せる人になりたいと願います。ともにあってくださる神様、あなたなくしてこの道をいくことは出来ません。思い返せばあなたと共にある時が全て幸せな時でございます。あなたから離れる時が不幸なります。どうぞこの傲慢な心を謙虚にしてください。
 
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こんにちは
青年セミナー最終日に亨進様が語られたみ言、最終回です。

Part1Part2Part3Part4Part5Part6Part7Part8Par9
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 血統とは何ですか?精子です。天皇は同じ血統ですね。血統を重視します。血統から相続されるものは何ですか?王の精子です。王の精子を通して、息子・娘が生まれてきます。皆さんの国はサタンの血統圏内なので、皆さんは奴隷にならざるを得ませんでした。しかし、神様の精子を持っているメシヤが再臨されるときに、神様の血統が立ちます。それを通して、王権が立ちます。王権、血統、精子はすべて連結されるのです。その王権を通して、奴隷になった人々が新たに生まれ変わります。サタンの王家から出て神様の王家に入るとき、その人々は血統転換されるだけでなく、王の権利を受け継ぐことができます。皆さんは鏡で顔を見るときに自分しか見ません。皆さんの血統とメシヤの精子が連結されているということを理解すれば、皆さんの王権を受け継ぐことができます。すべての王権は血統と精子で連結されています。その内容とアイデンティティを理解するならば、皆さんはサタンの奴隷になりません。未来の天一国市民は、自分はサタンと分離された血統と精子から来た王権の市民だという事実を理解しなければなりません。神様の血統、神様の精子から王家が始まります。ですので、お父様は血統を何度も強調されました。原理本体論のなかで最も重要な内容は、神様の精子です。神様の精子を通して、王家が現れます。神様の王家が現れないと、地上天国ができません。それがなされなければ、今のサタンの王家が生き残ってしまいます。また市民たちも奴隷のままです。
 

 
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亨進様、ヨナ様、ありがとうございました!!

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